第千二百四十三話・没ネタ

Side:久遠一馬

 

 この日、オレたちは都の郊外に来ている。

 

「そろそろ窮屈になっておるかと思うてな」

 

 一緒にいるのは近衛晴嗣さん。現関白になる。史実の近衛前久となる人だ。今日は少し遠乗りでもと誘ってくれたので同行している。

 

「ありがとうございまする」

 

 義信君もちょっと晴れやかな顔をしている。連日の公家との行事は慣れない身分からすると少し大変だからね。助かったよ。

 

 この人も史実ではいろいろ逸話がある人だ。上杉謙信を頼って越後まで行ったかと思えば、関東まで出向いて戦場にまで参陣していたはず。

 

 義輝さんとは従兄弟なんだよね。史実と同じく馬術にも長けていて鷹狩りも好きなんだそうな。

 

「まさか東の尾張までもが先を行くとはな」

 

 少し休息でもと休んでいると、晴嗣さんが意味深なことを呟いた。周りのみんなもその真意を測りかねたのか無言になる。

 

「先など行っておりませんよ。鄙の地なので目立つだけでございます」

 

 なにが言いたいのか、ちょっと図りかねたが、否定することは否定しておく必要がある。

 

尾張に限らぬことだ。今は失われたようだが、周防の山口もそうであったのだろう。越前の一乗谷駿河駿府もあろうな。畿内と都は畏れ多いと言いつつ、己の領地を富ませておる者はいくらでもおる」

 

 なにが言いたいんだろう。義信君も信長さんたちも黙って聞いているしか出来ない。これだけ身分差があると会話が難しいんだよね。

 

「にも関わらず細川は未だに家中で争うておる。都と畿内は細川のものではないというのに」

 

 細川の愚痴をこぼされても困るんだけどな。

 

 でもこの人、義輝さんの仮病を知っているはず。もしかして気付いているのか。義輝さんが畿内を放置していることに。

 

 まさか、オレたちに兵を挙げて上洛しろと言いたいのか?

 

「余所者が口を出して喜ぶ者などおりませんよ」

 

畿内が乱れても構わぬと申すのか?」

 

「そうは申しておりません。ですが、分を弁えぬ者を誰が信じましょうか。さらに畿内の者は鄙の地の者が困っても助けてくれぬ。そういう声がよく聞かれますよ。私たちが血を流す前に畿内の者たちが天下のことを考えるべきではありませんか?」

 

 義輝さんがオレたちと親しくしていることは承知の上での発言だろう。義輝さんと共に兵を挙げて上洛すればいい。何故しないんだ。そんなところか。

 

 将軍である義輝さんには相応の責任がある。でもね。それを言うなら今の世の責任は公家にもある。戦略も将来の展望もなく安易に考えられると困る。

 

 人権もない時代だ。さらに領国が違うと外国のようなもの。晴嗣さんからすると尾張の民が幾ら傷つき死んでも世が治まるなら構わないのかもしれない。そう考えているのかと思うと少し腹が立つ。

 

「ご無礼を申しました。責めが必要ならば私が負います。されどご理解ください。今、尾張が荒れると日ノ本は取り返しのつかないことになります。畿内が良ければ後はいかようにでもなるとお考えになられては困るのです」

 

 オレの言葉に晴嗣さんは驚きの表情を見せた。まあ関白になるような人にそんなこと言った人はいないんだろう。悪いひとじゃないと思う。ただ、公家の本音でもあるんだと思うし、若いだけに本音を素直に出したのだと思う。

 

 彼だけじゃない。史実では信長や秀吉だってそうだ。尾張より東は田舎だと軽視していたようにも思える。

 

 晴嗣さんと会った武士たちはみんな、お公家様と表向きは立てて言葉を濁して終わるんだろうな。

 

 ただ、ここまで言ったんだ。あとで稙家さんに怒られるだろうなぁ。

 

 

 

◆◆

近衛前久との場面の没ネタ。

 

ちょっと、話が性急なことと内容がきつくなりすぎたのと、一馬も言い過ぎだなと思い没にしました。